繁殖事業、ここまでの反省(まとめ)
6月2日に子豚が生まれ約2Wが過ぎました。
あっというまに時間は流れていきますね。
今回、初めて繁殖事業に取り組み多くを学びましたがその分失敗も数多くしました。
反省も踏まえここで少し今回の取り組みをまとめておきたいと思います。
今年度の事業計画見直しを昨年12月から作り始め
⓵全頭出荷で在庫販売に集中する。肥育は令和6年から
再スタート
②肥育事業と販売を並行し繁殖事業に5年秋から取り組む。
6年春に子豚を育成
③肥育、販売と繁殖を並行的に実施。
上記3通りの行動方針から
③の最も厳しい方針を選んで新年度早々取り組んでまいりました。
⓵案は疲労困憊した4年度の回復を狙って一度休憩させていただくパターン
②案は休憩とまではいかないまでも繁殖を本年度後半にまわして余裕を獲得するパターン
③案は厳しいがすべて並行的に実施して軌道に乗るまでの時間軸を稼ぐパターン
私が重視したのは「時間軸を稼ぐ」でした。
当商店の目的は
「自分たちが食べたい食品を作る」「子供たちに見せたい農場作り」「地域との共生」です。
食と健康、身体と精神は車輪の両軸で切っても切れない関係です。
このことは前職、自衛官として約30年勤務し自分の身体と向き合ってきた中で、また、多くの隊員たちと苦難をともにしたなかで
経験から得た「真理」として本当に大事なことだと考えています。
「食」を通じて人に力を与えたり、喜びを与えたり、なにかその人の人生に活力を
と(えらそうにすいません)
おいしい食材(健康に良く、安全でかつ美味しい!)をつくり社会貢献する。
その考えがまず初めにあり
それを自分で作っていく困難に面白さを感じ
作るとすれば「子供たち(自分の娘たちという意味だけでなく、未来へつなぐという考え)に見せたい農場作り」
そのような想いで始めました。
令和4年は農場作りを初めて1年
ようやく販売もスタートさせその難しさを痛感した年でした。
正直、疲れ果て店じまいも考えました。
でも振り向けば娘たちの応援があり
友人たちの応援があり
なんとか足を前に一歩踏み出す勇気を与えてくれました。
その中で決心した方針が「時間軸を重視」し最も成長速度の速い(その分負担が大きい)第3案でした。
そこから
1月、-20℃以下の極寒の中、繁殖パドック準備のため豚の移動(これが大変(笑)だいぶ上手になりました。)を皮切りに
2月、雄豚ゴーゴーちゃんをお迎えして、繁殖事業をスタートさせました。
【どろどろになって近づいてくる恐怖のゴーゴーちゃん】写真上
当農場は、師匠秦先生の遊牧舎とおなじく100%自然繁殖の農場です。
自然繁殖とは繁殖の大半を豚の能力に依存する、繁殖手段です。
繁殖促進の為の発条誘発やオスメスの相性チェック、タイミングなど諸要素はありますが大きくは豚に任せる要領となり自然任せの繁殖要領です。
対して一般の養豚場では人工繁殖が主流で冷凍精子を人工授精し繁殖を実施します。牛の場合99%がこの方式です。
今回2月4日にゴーゴーちゃんを迎え直ぐに発情行動が見られたため安心していましたが、受胎したのは1頭のマミーのみでその他は受胎していませんでした。(秦先生にエコーを借用し確認しました。)
受胎の確立を上げるため発情誘発などの試みを今後実施していく必要性を感じました。
豚は受胎から114日後に出産を迎えます。約3カ月と3週間。
6月2日、初産で少し遅れましたがおおむね予定通りマミーの出産が始まりました。
放牧豚は日ごろからしっかり運動しており出産事故も少なく助産の必要はあまり無いと認識していたため(これが甘かったです。)
予定日の1日前に出産房に移動させ観察を開始しました。
2日おくれて出産房内で巣作り行動をはじめ落ち着きがなくなってきたのを確認しこの日は帰宅。
翌日朝、確認するとすでに出産を終えて出産房内で横たわっていたマミーが私に気が付いて起き上がりました。
状況を確認すると出産10頭、うち5頭が何らかの原因で死亡、5頭が母親にまとわりついてまだ動けない状況でした。
すぐさま胎盤などを片付け生きている5頭に初乳を授乳させようと母豚を落ち着かせました。
死亡していた5頭は体も大きめで膜をかぶったまま濡れていたので、その場に私がいれば体を拭いて温め人工呼吸などの処置により何とか助かったのではないかと推測しております。
前日、油断して帰宅してしまったことを後悔してもしきれません。
「生きている5頭をなんとかしなくては」
母豚マミーも少し落ち着いてお乳を上げる体制になって一生懸命おっぱいをあげようとしていました。
またも私は安心し少し目を離した次の瞬間、5頭いたはずの子豚が4頭しか確認できません。
「あれ?どこいったの?」焦って探しましたが見当たりません。
「もしや!!」
母親をどかして腹の下に手を突っ込みまさぐるように探すと子豚が一頭下敷きになっていました。
呼吸は止まっていましたが心臓は動いているのが確認できたため蘇生を試み、何とか一命をとりとめました。
豚の出産事故の多くは出産直後の圧死です。
お母さん豚もものすごく気を使って大事に大事にゆっくりと横になるのですが、どうしてもまだ目の見えない子豚たちが母親にまとわりつき圧死してしまいます。
「これは油断できないな」
その日から3日間泊まり込みで付きっ切りの態勢がスタートしました。
久しぶりの野外(農場の倉庫内)での宿泊に演習場での野営を思い起こしました。
倉庫の屋根をたたく雨音が天幕の屋根をたたく雨の音とかぶりとても懐かしく感じられました。
それでも約2日たってまたもや一頭の子豚が母親の下敷きになり圧死。
急きょ、母豚の行動を制限するものを単管パイプで増設し圧死防止を図りましたが
結局、10頭中7頭が死亡。
自分の無力さを痛感しました。
秦先生に相談しわざわざ帯広からアドバイスをしに来ていただきいろいろ指導をしていただきましたが
もっと早く気づいていれば
甘く考えず最善の処置をしていれば
小さな命が救えたかも。
後悔の念でいっぱいです。
その後、鉄剤の注射、月のリズムを参考に去勢と牙切り(南米の農業に関する書籍を参考に下弦の月に併せると出血が最小限で負担が少ないそうです。)を実施して
現在は元気いっぱいの3匹の子豚たち。
【母豚マミーとお昼寝中】写真上
【やっと見つけた!逃走して隠れていた3匹の子豚】写真上
ジュニア(父親55にそっくり)、シロ多めちゃん、小梅ちゃんと名付け引き続き油断をせづ観察中です。
2Wが経過し母豚マミーにおやつとして与える白菜に興味を示して一緒になって食べるようになってきました。
【おやつの白菜を食べる親子】写真上
そろそろ次のステップである離乳のフェーズです。